こんにちは、サンタです。
私には、現在5歳になる娘がいます。
うつ病となり、活気を失くし、悲観的な考えが頭の中のほとんどを占めつつも何とか生きてきた結果、結婚して娘を授かりました。
当初、生きることが楽しくない私にとって、育児というものは正直苦痛に感じつことの方が多かったです。
しかし、娘の成長に伴い、娘と過ごす時間が増えていったことで遅れながら、私のような人間にも父性というものが芽生え始め、娘と接することが楽しくなっていきました。
育児が楽しくなってきても、うつ気分が完全に無くなるということはなく、ふとしたことがきっかけで気持ちが落ち込むことは沢山ありました。
今回の記事では、さらに成長したことで娘との関わりがより密となり、私が感じたことなどを書いてみたいと思います。
よろしくお願いします。
娘の成長
コミュニケーション
3歳を過ぎてきて、一番実感した成長はコミュニケーション面についてでした。
とにかく、よくおしゃべりするようになり、自分の気持ちや保育園での出来事などを自分のことばで表出できるようになりました。
まだ子どもなので上手く発音できないこともありますが、一生懸命に自分の気持ちを伝えようとする姿はとても可愛かったです。
また、理解力もついてきたため、こちらが話していることがどんどん分かるようになり、言葉でのやり取りが円滑になっていきました。
この頃から、しっかりとした意思の疎通が取れるようになっていき、様々なお話をしていました。
運動面
この頃は、たくさんおしゃべりするようになった他、体力もどんどんとついてきて、普段の運動量が増えていきました。
そんな娘と一緒に遊ぶには私の体力では不安が出てきたため、この頃から筋トレなどを始めて体力作りに励み、娘の活動量についていけるように頑張って体を鍛えていました。
運動量が増えたことに加えて、運動神経も発達してきて色々なことができるようになっていきました。
公園に行った時は滑り台やブランコなどの遊具が1人で出来るようになったり、三輪車が漕げるようになったりと、遊べるバリエーションが増えました。
本人も色々とできるようになったことが嬉しい様子で、今まで通りに手伝おうとすると嫌がり、できることは1人でやりたがるようになりました。
喜ばしいことなのですが、私はどうしても以前転んで怪我をしたことが頭によぎってしまい、1人で遊ばせるのが心配で過保護気味になり、少し煙たがれることもしばしばでした。
自我
また、身体面だけでなく、心も成長していきました。
特に自我については、2歳の頃と比較するとより発達していました。
好みがはっきりとしてきて、それまでは大して興味を持たなかった、女の子らしいものを好きになっていきました。
特にディズニープリンセスが好きになり、「大きくなったら私もプリンセスになるんだ」と、可愛らしい服装を着たがるようになりました。
その日に着る服は、いつもは私か妻が選んでいましたが、好みに合わせて着たい服・着たくない服を自分で選ぶようになっていきました。
そのため、買い物に行ったりすると、自分の好みをちゃんと伝えられるようになり、自分が着たい服をねだっていました。
私たち大人の行動にも興味を持ち始め、料理や洗濯・掃除など、自分がやりたがったり手伝いたがったりするようになりました。
一緒にフルーチェを作ったり、洗濯物を畳んだり、掃除機をかけたりと、一緒にいろんな家事をしてくれました。
知能面
知能も発達し、遊びの幅広がっていきました。
ひらがなが読めるようになり、数も数えられるようになり、図形の把握がより可能になっていました。
簡単な絵本を一緒に読んだり、難しいパズルに挑戦したり、文字や数字合わせのゲームができたりしました。
ことばと絵の結びつきもでき、親子3人でよく幼児向けのカルタをしたりもしました。
これがなかなか侮れず、油断していると普通に負けることもありました。
私が病気に罹ってしまう
日々娘が成長していく中、私は気胸・ラムゼイハント症候群といった病気に罹り、1ヶ月以上入院してしまいました。
入院前までは、強くなっていたうつ気分も徐々に落ち着き、比較的前向きで、体力をつけるためにトレーニングにも励めていました。
このまま、また穏やかに過ごせるかと思っていた矢先、病気に罹り、神経痛や顔面麻痺などの後遺症が残ってしまいました。
何というか、大袈裟に聞こえるでしょうが、病気に罹ったことで今までの努力が無駄に感じてしまい、『頑張る』ということが馬鹿らしくなり、自身の現状をあまり受け入れられませんでした。
身体に後遺症を抱えたことで、育児に対する不安が大きくなりました。
過度な運動による呼吸苦や息苦しさ・神経痛のために、娘と一緒に遊ぶ体力が低下し、又、鍛えていくことも難しくなりました。
顔面麻痺により、見た目が人とは違ってしまい人前に出ることが怖くなりました。
加えて、そのことが原因で娘がからかわれるのではないか、といった不安も感じるようになりました。
こうなってくると、ネガティブな感情は止まらず、うつ気分が増悪し、『生きていても良いことはない』『早く人生が終わってほしい』など、希死念慮に支配されていきました。
しかし、家族のことを考えると死ぬことはできず、心身ともに無理をし続ける生活でした。
抗うつ剤や眠剤の他に、痛み止めなどの薬を大量に飲むようになり、日々の生活が辛かったことを覚えています。
娘の成長が喜ばしく感じる中、私自身の状態に希望が持てず、早く日々が過ぎて欲しいと思う時期でした。
強くなるうつ気分をマンガやゲーム、釣りなど、さまざまな手段でごまかしながら生きていました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。