こんにちは、サンタです。

 過去の記事では、娘が少しずつ成長し、一緒に過ごす時間が増えたことで、私にもようやく親らしい感情を持つことができたことにいついて書かせていただきました。

 その後も娘は元気にスクスクと育ち、さらに成長しました。
 しかし、娘の成長とは反対に、親である私には再びネガティブな感情が芽生えてきていました。

 今回の記事では、娘の成長に対しての私の不安について書いてみたいと思います。

 よろしくお願いします。

お辞儀をする人のイラスト

魔の2歳?イヤイヤ期

子どもを肩車している父親のイラスト

 娘も2歳となり、少しずつイヤイヤ期に突入していきました。
 周囲の話や噂で、〝イヤイヤ期は本当に大変〟だということを聞いていたので、覚悟していました。

 しかし、娘の性格なのか私が必要以上に覚悟をしていた為なのか、イヤイヤ期に突入してもそこまでの大変さを感じませんでした。

 確かに、何かをする時にはそれまでとは違い、泣いたり嫌がったりとすることが増えてきました。
 その為、日常の様々な育児場面において、それまで以上に時間や手間がかかるようになりました。

 もちろん、イライラしてしまうこともありましたが、それ以上に自分自身がそれまで良い親ではなかったという後悔や自責の念が強く、娘に対して引け目というか申し訳なさを感じていました。

 そのせいか、大変だと思うよりも先に、『これからはちゃんとした親でいなければ』『娘に優しくしなくては』と、自分を追い込むように考えてしまっていました。

自己主張とこだわり

得意げな表情の女の子のイラスト

 2歳を超えてくると話せる言葉も増えてきて、少しずつ言葉でのやり取りがスムーズに出来るようになってきました。

 しかし、それまではどんなおもちゃでも喜び、アニメなども可愛い絵柄であれば楽しそうに観てくれるなど受動的であったのに対して、『あれが良い』『これは嫌だ』など自己主張することが増えてきました。

 好みが少しずつはっきりしてきたために、気に入らないおもちゃではあまり遊ばなくなり、アニメを流しても好きなアニメでなければ泣いてしまっていました。

 又、そういった自己主張だけでなく、こだわりのような部分も出てきました。
 『外から帰ってきたらエレベーターや電気のスイッチは自分で押す
 『散歩中などにどんぐりが落ちていたら必ず拾う
 『これをするのはパパ・これはママと役目を決めてしまう
 『ブランコを押す際にはどちらから押すか決まっている
 などです。

 こだわりから外れてしまうと泣くか怒るかで、そうして一度機嫌が悪くなるとしばらくは手がつけられませんでした。

 初めの頃は今までの接し方が通じなくなったことで面食らいましたが、可能な範囲で娘のこだわりに合わせて行動するようにしていました。

 確かに煩わしかったり困らされたりすることは多くありましたが、自分の主張が通り、こだわり通りに行動できた時の娘の満足そうな笑顔を見ていると、可愛く感じました。

運動機能の発達と油断・後悔

一緒に横になりながら子どもに謝っている父親のイラスト

 又、2歳にもなってくると筋力や体力もついてきて、動きも活発になってきました。
 1人でも転ばずに、トテトテと走れるようにもなり、公園等に行っても楽しそうにはしゃいでいました。

 一緒にブラブラと散歩しながら石やどんぐりを集めたり、アリさんやダンゴムシを見つけては観察したりと、一緒にできることがだんだんと増えていき、成長を感じることが出来て、とても嬉しかったです。

 しかし、そんなある日のこと、娘が集めたどんぐりを入れるためのコップを持っていた時に転んでしまいました。
 コップを持ったまま転んだので、コップの縁に眉毛の辺りをぶつけて切ってしまいました。
 かなり深く切ってしまい、傷を8針ほど縫う大怪我でした。
 医師からは、おそらく傷跡も残るでしょうとも言われました。

 私が油断して、コップを持たせたまま歩かせていたために怪我をしてしまったのです。
 運動機能が発達し、しっかりと歩けるようになってきたからと言って物を持たせたまま歩かせるべきではありませんでした。

 娘の傷を見たり、処置で痛そうにしている姿を見ていると胸が締め付けられ、1人で泣いてしまうこともありました。
 この時の油断を私は一生後悔するでしょうし、今でも娘に対して申し訳なさで頭の中がいっぱいです。

親としての自分への不信感

 こうして、娘に怪我をさせてしまった時から再び自己嫌悪が増悪してしまい、自分はダメな親だと自分自身を責めるようになりました。

 もちろん、一番辛いのは怪我をした娘自身ですし、私が落ち込んでいてもしょうがないのは分かっています。

 しかし、頭では分かっていても、どうしても気にしてしまい落ち込んでしまいます
 こんな人間が、今後も娘をちゃんと育てていけるのか、自分自身が信頼できず、将来への不安が強くなっていきました。

 この頃からうつ症状が再び強くなっていき、気分の落ち込みや不眠、軽度の希死念慮等が出てきました。

 うつ気分が落ち着いてきた頃だけに、私自身ショックでした。
 なんとか周囲に漏らさないよう、悟られないよう、注意を払いながらの生活が始まりました。

 自分の状況は周囲には関係なく、私自身の問題だと強く言い聞かせて、誰にも心を開かずに壁を作り、何重にも仮面を被りました。

終わりに

 いかがだったでしょうか?

 娘が2〜3歳にかけての私の心情の変化となります。
 この時期は娘の心身の成長に反比例し、私自身がうつ病が悪化した時期でした。

 表面上は元気に振る舞いつつも、内面はうつ気分が強く、過去の記事でも書いていましたが漫画やゲームなど、色々な事をしてごまかすことが多くなっていました。

 ここまで読んでくださりありがとうございました。

記事を読んでくれたことに対する感謝を表す画像
投稿者
アバター画像

サンタ

41歳の作業療法士(職歴16年) 趣味:猫とゴロゴロ/海釣り/好きなバンドのライブ参戦 25歳の時、失恋がきっかけでうつ病に。 39歳の時、気胸にて肺の部分切除。直後にラムゼイ・ハント症候群にて左の顔面麻痺出現。手術するも後遺症が残る。 うつ病をごまかしながらの生活や仕事、病気の後遺症などについて書いていきたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)