こんにちは、サンタです。
過去に記事では、妻の妊娠を知ってから出産までの、私の心境の変化について書かせて頂きました。
今回に記事では、無事に娘が産まれてから、妻が退院して一緒に暮らすようになるまでを書いてみたいと思います。
よろしくお願いします。
目次
娘が産まれるまで
出産予定日が近づくと入院予定の病院が近いこともあり、妻は大事をとって実家に帰っていました。
妻の日々の体調であったり、娘がいつ産まれるかなど心配事は多かったですが、正直、ここで一人になる時間が増えたことはありがたかったです。
妻には申し訳ないですが久しぶりの一人の時間を満喫しつつ、改めて自分が親になるということについて考えていました。
自分勝手で情けなく恥ずかしい話、娘が生まれてからの生活を想像していると育児の大変さばかりに目が向いてしまっていました。
<自分の趣味に割ける時間が少なくなる>
<夜泣きなどで睡眠時間が削られてしまう>
<おむつ替えとかあんまりしたくないな>
<そもそも娘のことを愛せるのだろうか?>
などと考え、今思い返してもひどい人間だと思います。
初めて抱っこした時
予定日を少しすぎた頃、ついに陣痛が始まったとの連絡を受けました。
出産に立ち会うため病院へ駆けつけましたが、陣痛が始まって半日以上すぎても産まれてくる気配がありませんでした。
医師の説明では、背骨の一部に引っかかているために自然分娩は困難であるとのことで、帝王切開での出産となりました。
実際に親となる瞬間が間近となり、頭の中は母体や娘への心配や様々な考えでパンクしそうでしたが、最終的には無事に産まれてきて欲しいの一点でした。
そして無事に手術が終わり、ついに娘と対面することができました。
短い時間でしたが、抱っこもさせてもらいました。
もちろん感動もあったのですが、正直どこか他人事で現実味が無く、抱っこしても『可愛い』よりもふとしたことで壊れそうな感じがして怖い、という感想の方が強かったです。
離れて暮らしている間
1週間の入院期間を経て退院しましたが、うちの場合はすぐに一緒に暮らし始めたわけではありませんでした。
妻は療養も兼ねて1ヶ月ほど娘と実家で暮らしていました。
そのため、まだしばらくは一人での暮らしが続き、休みの日に妻の実家まで娘に会いに行くという生活を送っていました。
娘と会い、抱っこして、オムツを替えたりミルクをあげたりとしている内、こんな自分にも父親としての自覚が芽生えてきて、娘のことが可愛くて可愛くてしょうがなくなることを期待していました。
しかし、可愛いは可愛いのですが、どうしても自分自身を客観的に見てしまい、現実味が無く、父親になったという実感があまり湧いてきませんでした。
そんな自分が本当に嫌でしょうがなく、性根が腐った最悪の人間だと思うようになっていきました。
又、周囲からは祝福され、しきりに「やっぱり娘は可愛いでしょ?」「会うのが楽しみでしょうがないでしょ?」などと言われます。
心からはそう思えていないのに、表面上は「可愛いです!」「幸せです!」などと誤魔化し、取り繕った返答ばかりしていました。
そういった嘘をつく度に『お前はなんて腐った人間なんだ』と自分を卑下していました。
そんな自分に対して、
『頑張らなければ!』
『しっかりしなければ!』
と、勝手に精神的に追い込んでいき、一緒に暮らし始める前から心身ともに疲弊してしまっていました。
一緒に暮らすための準備
一人でいる間、ただ悶々と過ごしていただけではありません。
家で妻や娘を迎えるにあたって、育児に必要な物品を準備もしていました。
とは言え、私にはほとんど知識もなくどんなものが必要かも分かりませんでした。
できることと言えば家の中を可能な限りキレイにして、娘が眠るためのベビーベッドを組み立て・設置したり紙パンツやお尻ふきなど必需品を揃えておくことしかできませんでした。
そうして環境を整えつつ心の準備をしていましたが、これからの生活に明るい気持ちを抱けないまま時間だけが過ぎていきました。
そしてついに、妻と娘が我が家に帰ってきて親子3人での生活が始まっていきました。
以上が、娘と妻と、家族3人で一緒に暮らし始めるまでの話になります。
しかし、新しい生活が始まることで、様々な悩みを抱えるようになっていきました。
次の機会では、一緒に暮らし始めてからの話を書けたらと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。